実話です。大学一年生で早くも酒とタバコに溺れ、どうしようもなく自堕落な生活を送っていた筆者が、デパートのスポーツ用品売り場に飾られていた真っ赤なロードレーサーに心を奪われ、間髪入れずに購入する、というところ(9ページまで)からこの本は始まります。
続く10~284ページには、通っていた大学初の自転車競技部女性部員となり、卒業後は自転車雑誌の記者となって奮闘し、同じ職場で働いていた自転車パーツフェチのカブというフリーライターと結婚し、ついにカブの長年の夢であった自転車店を横浜は青葉台駅の近くに開くというストーリーが待ち受けています。筆者の程々に破天荒な人生がえんえんと綴られます。自転車と切っても切れない生活を送ってきた筆者のことがよく(あるいは一部)わかります。自転車という乗り物は彼女の人生に多大なる影響を与えてきた!
ところが、読めども読めども9ページ目を越える箇所が現れません。
なぜか?それは、自転車というバチグンの乗り物に対する愛情がまるっきり表現されていないからではないでしょうか。そのことはタイトルにおいて自転車が“チャリンコ”と称されている時点で伺い知ることができます。
結局この本の内容は筆者がご主人とお店を開くまでの人生を振り返った一回顧録に過ぎないのであり、なにも自転車である必要性はないのです。「自転車」を柔道、野球、ラクロス、テニスなど、何にでも置換可能です。結局のところ筆者にとって自転車は“チャリンコ”の域を出ないのです。
奇妙なほど気合いの入りまくった文体は品(ひん)が備わっているとは到底思えず、自転車に同居しているべき爽快感をバラバラに崩壊させるのに一役買っています。
熱い女性の悩める人生について興味がある方は必読です。
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体育会系自転車女(失礼)の超前向きで、ゴツゴツした青春自伝小説。 まるで自転車で 続きはこのサイトで。
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早大自転車部初の女子選手として活躍し、その後は自転車関連雑誌の編集者・記者生活を経験した著者が、自分の大学生活〓結婚生活〓自転車店回転までを綴る壮絶な記録。 ... 続きはこのサイトで。


ina-bunny様
すみません、返事が遅れました。
>要するに自転車乗り向けの本じゃなくて筆者の自伝みたいなものってことね。
その通りです。
ケチョンケチョンに評してしまって筆者には恐縮なのですが、実は一度お会いしてみたい気がしています。
要するに自転車乗り向けの本じゃなくて筆者の自伝みたいなものってことね。青葉台って事は漢字2文字のあの店?
ちなみに「チャリンコ」。これって「ンコ」部分があるゆえ、語感的に「憧れ」や「ロマン」や「趣味の対象」とはなりづらいのでは? 「ンコ」がついていて語感がいい言葉が見当たらないんで。
「チ」とか「ウ」とかetc.、、、
泉ピ○コにはすまないが、、、
「今日のワンコ」の場合は、例外的に女子アナの美声とのギャップ感がまた良く、、、
しつこいのでこのへんで。
(実話であるにもかかわらず)私がこの本にこれほどの辛口評をつけたのは、題名に「チャリンコ」が含まれているからではありません。
「チャリンコ」という言葉自体は、実は私も嫌いではありません。チャリンコという言葉は、場合によっては、自転車にコミカルな印象を与えるものだと思います。
最初にこの本の題名を目にしたとき、チャリンコという言葉には、別に違和感を覚えませんでした。「青葉台駅自転車2分」よりも「青葉台駅チャリンコ2分」の方が適度な軽さがあってよい様な気もしますし、実際のところ本文中ではチャリンコなる語句はほとんど出てきていないようです。
自転車をチャリンコ、ケッタ、バイク、etc、どのように呼ぶとしても、自転車に乗ると言う行為は、運動であり、スポーツです。自転車とは内なる自分を外部へ解放してくれる道具であるはずです。自転車が前に進むための道具である限り、このことは疑う余地がありません。
そんな自転車が主題でありながら、閉塞感しか伝わってこないとしたら、感動や興奮や爽快感が伝わってこないとしたら、読了して本を閉じたとき、(少しでも自転車に意識的な)読み手はがっかりするのではないでしょうか。
雑誌ビーパルの連載だったとのことですが、一つ一つの連載記事として章を分けて読む方が良いのかもしれません。
個人的にはチャリンコは嫌いな言葉ではないですけどね。私の周りの人間は自分の事を「チャリダー」と呼んでますし(その代表が白石さんかな)。自転車乗りでもロードやMTB・ツーリストやBMX等々、意識の持ち方が全く違うので言葉の受け止め方も違う。私の考えですが、自転車がどれだけ高価・高性能であっても、乗る行為は所詮ママチャリと同じだと思っていたりします。ツーリング先でママチャリ旅行している人をたまに見かけますが、ある意味頭が下がる思いです。チャリンコだけどこんなに遠くまで行けるぞ、と。
「青葉台駅チャリンコ2分」はビーパルで時々読んでました。著者が雑誌編集者になった時に周りのライターがあまりにも自転車オタクだったために、自分では付いていけないというのが印象に残っています。自転車に愛情を感じられないのは、主観的にではなく客観的に自転車にまつわる人間関係を書いているからかなと感じました。とりあえず単行本読まなきゃ(実は舞台になった自転車屋さんには何度か行っていたりする)。
私もこの言葉は好きではありません。いや嫌いといってもいいでしょう。もっといえば、語源からいっても、語感からしても蔑称であると認知しています。
しかし、世間様では無邪気に用いられているのが現状です。この言葉を吐く一般の人には罪は無いとは思いますが、いやしくも自転車業を生業としている人が使う言葉ではないと思いますが、出版社の意向なんでしょうねー。
ただし、ママチャリは別です。
あれは日本文化が生み出した、別種の偉大なsuper utility vehicleです。
2CVやBeetleがそうであるように。
産經新聞で疋田さんが書評してました。
実家のあたりでは自転車のことを「ケッタ」とか「ケッタマシン」とか呼びます。
たしかに、「チャリンコ」とか「ケッタ」と呼ぶと「自転車」とは違う意味になる気がします。
僕の考えている自転車と世間一般で考えている自転車の違いがここにはあるのでしょうか?
道路交通法で車両として定められている自転車も実は「チャリンコ」の方で、僕の自転車はそれとは違ったものかもしれませんね。
僕もチャリンコ好きじゃない派です。
空き地に捨てられて錆び付いた自転車を思い浮かべてしまいます。
近しい人には自転車と呼べ、と強要してしまいます。
ま、どうしようもなく汎用されてしまってますが。