私の駐輪作法 その3
さあ困った困った。手近に駐輪場がない場合、どこに自転車を停めたらよいのでしょうか?
「ブロークン・ウィンドウズ理論」によると、窓ガラスが破れてたり、落書きが放置されてる場所は、犯罪者を呼び寄せ、ついには[自転車泥棒]という最凶・最悪の犯罪をも発生させてしまうのである。気をつけたいものである。
たとえば、「駐輪禁止」の掲示があるのに、多数の自転車が駐輪されている場所、中にはボロボロのかわいそうな自転車が放置されてる場所、そこはまさしく犯罪者を呼び寄せるブロークン・ウィンドウズな場所であり、決して自転車を停めるべきではない! と私は思います。
駐輪作法その3「駐輪禁止場所には絶対停めるな!」
……ものすごく当たり前のことを書いてる気がしますが、道理がひっこむのが世間というもの。
ここで一枚の写真を見ていただきましょう。

写真は京都の繁華街・河原町からサクッと曲がった裏道。京風という言葉が似つかわしい木造民家の前に、「駐輪禁止」の看板、おまけに柵があるにもかかわらず不法駐輪。道路をせばめて歩行者・クルマに迷惑をかけるのみならず、住民の方の出入りもままならぬ状態です。
こんな場所には自然と自転車泥棒が集まってくるのではないでしょうか。そして、「住民の方もさぞ不便であろう、拙者が私的に撤去してしんぜよう。いや礼には及ばぬ。撤去した自転車はポッポナイナイさせていただくゆえ」…さすが京都、自転車泥棒もたいそう古くさい言葉づかいです。と感心している場合でなく、はっきり言ってこんな不細工な停め方では、自転車を盗られたとしても「非は停めた方にあり」、と、私は言いたい。
[スタンド]をはずした自転車なら、こんな場所に停めることはよもやないはず。自転車から[スタンド]をはずすことは、ブロークン・ウィンドウズな場所に停めることを金輪際、拒否することに他ならないのですね。
それはともかく、こういう場所は、不法駐輪車が集まること自体がブロークン・ウィンドウズ状態を形成してしまっています。こういう場所に停める人は、[駐輪]を何か後ろめたいことと感じて、ブロークン・ウィンドウズな場所に停めてしまっているのでは?
すなわち、「駐輪は、基本的人権である!」…くらいの意識改革が必要です。他人に迷惑をかけてまで己の人権を主張するのは阿呆ですので、一定の留保を加えつつ、ここに私は、環境権、知る権利、プライヴァシー権よりさらにモダンな人権として、[駐輪権(The Chooring Rights)]を高らかに宣言したい。
「人間は、公共の福祉をさまたげない限りにおいて、また他人に迷惑をかけない限りにおいて、自転車をどこに停めてもよい」
このような[駐輪権]意識を持てば、駐輪を後ろめたく感じる必要なく、不法駐輪車が集まってブロークン・ウィンドウズ状態をつくることもなく、民家前に自転車があふれかえることもなくなるはず。駅前やら何やら不法駐輪があちこちで問題にされているようですが、まず、「駐輪権」の確立が先決ではないか…? そう私は感じるのであった。
…どんどん、わけがわからなくなってますが、次回はもう少しマシになるはず。つづく。
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SORAさん、はじめまして!
書き込みありがとうございます。
> 駐輪を真剣に考えるなら、公共の駐輪場を確保してもらうように行政に働きかけることが大切なのでは?
まったくその通りです。
駐輪問題/駐輪場問題はあらためてじっくり考えたい、と思います。
とりあえず私は、こうすれば「駐輪可能な公共スペースは絶対増える!」というプロセスを考えてみました。
1・Power's Cycle Diaryの読者がどんどん増える。
2・自転車を徹底的に意識する人が増える。
3・駐輪問題が日本で社会問題化する。
4・ディスカバリーチャンネル所属、別府選手が「最近、日本では駐輪問題で話題沸騰なんですよー」とランス・アームストロングにポロリと漏らす。
5・ランス・アームストロング「へー。日本は小さな島国だしね。hahaha!」と内心思いながらも、「日本の自転車好きはたいへんだね。よし! 日本はアメリカの属国だから、ボクがジョージ(ブッシュ大統領)に何とかするようかけあってやるよ!」と適当に返答。そのまま忘れてしまう。
6・しかしその会話はNSA(国家安全保障局。『エネミー・オブ・アメリカ』参照)に盗聴されていた! ブッシュ大統領は、「ランスがそういっていたなら、なんとかしなきゃね。」と小泉首相に指示を出す。
7・小泉首相「それは郵政民営化より大事!」と一気に公共の駐輪スペースが増やされる。
と、いうわけでPower's Cycle Diary読者がどんどん増えればよいのではないか? ……寝不足で頭に霧がかかっております。スイマセン。あらためて真剣に、ジックリ考えます。
BABAさんはじめまして、学生は京都でしてた、SORAです。
今は、路駐の問題が無いような田舎町にいるんですが、京都は、駐輪が大変なマチだったなあと思い出してます。
それで、申し訳ないのですが、クソまじめで堅苦しくなることを先に謝っておきます。
>人間は、公共の福祉をさまたげない限りにおいて、また他人に迷惑をかけない限りにおいて、自転車をどこに停めてもよい
The Chooring Rights、洒落としてなら面白いですが、それでは、京都の街中だと、停められませんね。
目の不自由な人、ヨチヨチ歩きの子供や老人、そういった人には放置自転車は迷惑どころか危険でさえあります。
やはり、駐輪は駐輪場か個人の所有地にすべきです。正規の駐輪場からは、窃盗犯もなかなか盗り難いでしょうし。
私は三条近辺に行ったときは、セキュリティーの意味もあり、知り合いの店に置かせてもらってました。
でもそれは、皆が出来ることではないですね。
街と住宅街が一体化し、又学生も多い京都の駐輪需要は簡単には満たせません。学生、といえば卒業生の乗り捨て自転車も駐輪スペースを圧迫しています。
駐輪を真剣に考えるなら、公共の駐輪場を確保してもらうように行政に働きかけることが大切なのでは?
そのようなとき、どのようにするのが効果的なのか?
私が提案するなら、駐輪許可制(The Chooring License System)です。
市内に公共(または民間でも市と契約する等)の駐輪場をいくつか設けてもらいます。そして、一台ぶんの権利として年間3000円程度(このぐらいがギリギリでしょう)のライセンスを設けるのです。ビジターは300円とかにして。そうすればある程度の予算は出来ます。
予算さえあれば、地下に専用スペースをつくる、道路の空きスペースを囲う、商店、オフィス等の駐輪場を公共にも貸し出してもらい市が補助を出す、等々、さまざまな策があります。
金額的には、足りないでしょうが、インフラの整備ですから税金も投入できるでしょう。その呼び水のためにも、ライセンス収入は大きな意味を持つと思うのです。
そしてライセンスの無い放置自転車を片っ端から回収、破棄するのです。これで本当に停めたい人だけ停めるので、有効スペースはぐっと広がるはず。
確かに、駐輪に金がかかるというのは、抵抗あるかも知れないですね。でも、権利(Rights)を主張するからには、義務(Duty)も果たさねば、と思うのですが。
なーんて偉そうに言ってしまいましたが、行政に働きかけるのってスゴク大変なんですよね。「こんなところで意見するなら、お前がなんとかしろよ!」ですね、ほんと(苦笑)。
しかし、京都×自転車=バチグン!!なのですから、BABAさん達京都のサイクリストにはがんばって戴いて、ぜひ、京都の自転車環境を良くしてもらいたいです!
長文失礼しました。
★sotaroさん
まったく同感でして、私は京都市にしか住んだことはないのですが、京都市には都市計画、というか道路デザイン、交通デザインがまったくないのでは? と思うのです。
にしても、御池通、昔は巨木の街路樹があって涼しげな通りだったのに、それをなくして歩道を広く・きれいにしたのはまったく解せない。せめてバリカーを生やした駐輪スペースをダーン! と作っていただきたい、と思うのでした。
四条通・河原町通こそ、ダーン! と広い歩道が必要だと思いますー。駐輪スペース付きだとなおよし。
そういえば、私が子供の頃はマイカー観光規制みたいなのをやっていた記憶があるのですが、いつ頃からなくなったのかしら?
★niwa-chanさん
>それは最初の窓ガラスを割ったり、最初の落書きをすることと何ら変わりはないような気がします。他の人に迷惑がかからなければ・・・とかいうのは私には自分の行動を正当化するための言い訳にしか思えません。
鋭い指摘、ありがとうございます!
なるほど!
手近に駐輪場がない場合の駐輪作法を考えたわけですが、どこに停めても、最初に窓ガラスを割ったり、最初に落書きをすることと何ら変わりはないとするなら、結局、他人に迷惑がかかってしまうので、駐輪場以外に自転車を停めるのは不可能、ということですね。
これを可能にするのが、基本的人権としての駐輪権の確立だと私は思うのですけど、もう少し考えたいと思いますー。
先週の日曜日、私も京都まで自転車で行って来てブロークン・ウィンドウズな場所を体験してきました。確かに京都は自転車が多いですね!何故駐輪場が余りないんだろう?ぼろぼろになったまま死にかけてるバイクを見ると心も痛みます・・・駐輪場があれば私ならお金を払ってでも其処に停めたいです。確かに自転車は気軽に移動できて、気軽に停めれるところがいいんだけど、いくら自分が駐輪する場所の環境をよくよく見極めて、完璧な防犯対策をして停めたとしても、それは最初の窓ガラスを割ったり、最初の落書きをすることと何ら変わりはないような気がします。他の人に迷惑がかからなければ・・・とかいうのは私には自分の行動を正当化するための言い訳にしか思えません。出来れば、御池の地下とかにある巨大なパーキングの一部を駐輪枠とかにして貰って後は目的地まで歩けばいいと思うけど・・・自転車に乗る人って、駐輪にはお金使いたくない、目的地まで乗り付けたいって考えてる人がおおいのでしょうか?・・・でもこのシリーズ 面白いです!
どちらにしても都市計画のしなおしが必要ですね。といっても些末なことです。
現在の町並みはいったいいつの時代の時代の都市計画の
標本なんでしょう。
市内でもちょっとはずれにゆくと、『これ、前はぜったい田んぼのあぜ道や。』という道が少なくありませんね。あぜ道であった上にアスファルトを敷いているだけ。っという。
めっちゃせまい。
市内ど真ん中の幹線道路も、そのときの政策の範疇をこえてませんね。車が通れればいいやろっという考えでつくられてますね。そしてその時代に自転車が現在ほど多くあったはずがありませんの。
駐輪するためには(スタンドあるなし関わらず)、なにかそこに『自転車停めたいな~。ここやったらだいじょうぶそうや。』という意思を発しているような場所が必要ですです。
あのU字型のバリカーでもいいんです。御池どおりみたくさいきん無駄にだだっ広くなったパヴぇに、自転車駐輪のためのバリカーを適切な位置に備え付けましょう。車止めの機能としてではでは無く。
でも御池で用を足すことが少ないので、やぱり、河原町、四条あたりをパイロットとしておこなうべきかな。歩道の道路よりの境界線を、車道側にあと200センチすらしたところにバリカーを縦列配置させる。なんてどうでしょ。道路よりの50センチは30度駐輪のための、後150センチは自転車に乗った人の往来のために。車が通れなくなるかな?いっぺん道路幅員を計らんと、、、。与太話っ!の粋をこえないコメントでしたが。
★powerさん
やはり気軽さ・便利さマックスの、いわゆるママチャリにはスタンドは必須かな…? と思っていたところ、先日見た、『海を飛ぶ夢』というスペイン映画で、とある女性が乗っていたママチャリ風自転車はスタンドついておらず、彼女は目的地につくや、壁に自転車をサッともたせかけ、鍵もかけずにスタスタと立ち去ったのですから、うーむ、気軽! と、うなったものです。スタンドなしでも便利・気軽さMax in スペイン。
ちなみに『海を飛ぶ夢』、たいへんな感銘を受けたことをあわせて報告しておきます。バチグンのオススメ。
>自転車から[スタンド]をはずすことは、ブロークン・ウィンドウズな場所に停めることを金輪際、拒否することに他ならない
なるほど!
これは一理ありますね。
早速私も愛車のWink君からスタンドを外そうかな・・。
でも、やっぱり便利さには勝てません!