家出の顛末
- Cosset
- タクヤ君 おかえりなさい。東京はどうやったん?タクヤ君家出した次の日、京都の自転車界は揺れ動いたよ。話題騒然やったで。
- タクヤ
- 燃え尽きて気持ちよかった。
- Cosset
- どんなルートで行ったん?
- タクヤ
- 初日は勢いで出てしまったものの、五条のてっぺんで完全に酔いが回って、大津の友達の家に泊めてもらった。10kmでダウン。
- Cosset
- ふんふん。ところで地図は持っていったん?
- タクヤ
- 持っていかへんかった。東京の地図だけ。それで2日目は鈴鹿と関が原の間の421号線。超激坂。猿を見てて油断したらガードレールにCrush。
- Cosset
- 421号線の激坂は私も知ってるよ。大学時代クラブの合宿で行った。ま、私は車でサポートカーしてたんやけど、カーブ多いし、助手席の後輩は青い顔してた。タクヤ君 よくあの坂登ったな。ほんでそれから?
- タクヤ
- 三重県の桑名まで抜けて、そこから一号線で豊橋の近くまで。あまりに疲れてて電車に乗ったらお祭りのせいで夜中やのに満員電車やって、しばらくお風呂に入ってへんかったし、自転車こいでたからスゴク汗臭いし、ビニールにくるまれた自転車のせいでいたたまれなくなって5・6駅で下車。そのあと、静岡まで走ってどこかわからん所で仮眠。
- Cosset
- タクヤ君、お金大丈夫やったん?よく電車に乗れたね。
- タクヤ
- 僕は大人やからね。銀行のカードは忘れずにかばんに入れたよ。(預金は18000円しかなかったけど。)自慢やけど帰りは横浜から新幹線やったもんね。
- Cosset
- 良かった。ちょっと心配やってん。
- タクヤ
- それで、2日目の日曜日は沼津まで走った。どうしても箱根はアカンと思って、国府津まで電車に乗って茅ヶ崎通ってビキニの女の子に見とれて車にCrush。よれよれになって鎌倉の友達の家に着いたら、彼はどこかに引っ越してた。で、もうしょうがないし、やけくそになって、そこから東京まで走って、渋谷のバーでgogoに出迎えてもらってビール3杯おごってもらった。
- Cosset
- gogoにはタクヤ君が家を出た次の朝に連絡しておいた。そのうち行くからって。だいぶ心配してたけど、まさか東京まで走っていくことはないやろうっていってたのに、よく行ったな。おそるべし37歳やで。
- タクヤ
- 歳の話はいいって。でも実際、勢いよく家を出てしまって、今更引き返せへんしどうしよう・・・ってのが強かった。いざ東京へ行ったら東京のみんなが優しくしてくれて、めっちゃ嬉しかった。
- Cosset
- 東京のBoo金子から電話があって、『噂で聞いたんだけど、タクヤ君東京に自走で来たらしいね。本当?お金持ってるのかな?飯とかおごってあげたほうがいいのかな?』って。タクヤ君の家出は東京も震撼させたみたいだね。
- タクヤ
- 行ってよかったわ。すっきりしたもん。
以下、by タクヤ
・・・という家出の話でした。
周りの人達にも、「東京のメッセンジャーはどうしてCMWCに向けてまとまれないんだ?」「人を繋ぐのがメッセンジャーの本分やんか。」というのが家出の原因という解り易い話にしてしまったのですが、(実際それもあったのですが、)実際はもう少し複雑です。どうしても話しておかないといけない気がするので、記してみました。
年齢のせいもあり、人と人の間に入ることが多いのですが、最近それが辛くなってしまったのです。
「人間って理解しあえるのか?」という少年期からの疑問が、今ごろ復活してきて、ここしばらく頭から離れなくなっていました。
どうせ話しても理解されないだろうと、顔には出さないのですが、大袈裟にいえばノイローゼ気味でした。
「世の中の基本は、勝ち負けと淘汰。理解や共存はそれらには敵わない。」そんな気持ちになっていました。
確かに自然界では、淘汰とサバイバルこそが生命の基本です。でも人間はそこから抜け出そうとしているんじゃないのか?自転車に乗りながら、熱中症気味の頭でそんなことを考えました。
今回の家出の目的(?)のひとつは、長年お世話になった通訳と翻訳の仕事を断り、謝罪することでした。
人が理解しあえるのかという疑問を持ったまま、他人の頭の中へ入っていくのは辛い。
辛いだけならまだしも、日本語さえ理解出来ていないような気持ちで出来る仕事ではありません。
この仕事を投げ出したことで、大きな迷惑をかける事になります。
謝るのに、電話やメールではダメだったのです。どういう理屈か自分でも解りません。
もうひとつは、T君という友人に会いたかったのです。
彼はボサノバギタリストです。無口で、自分の話は殆どしません。
彼は住所不定で転々と居候をしています。最近までは鎌倉にいました。
彼は、ウチに泊まりに来て、ギターを弾きます。
練習でもなく、人に聴かせる為でもなく、ただ弾いているのです。
言葉をいくら尽くしても伝わらない何かが、その音にはあります。
朝、目を覚まして、T君のギターの音が聞こえていると、安心で幸せな気持ちになります。
彼も僕も最近まで、コンピューターはおろか携帯も持っていませんでした。
それにも関わらず、東京や京都で会うのに不自由はありませんでした。
お互いヒョッコリ訪ねていったり、偶然バーで会ったりして、それが当然だったのです。
彼にコーヒーを煎れてもらって、横でギターを弾いてもらえば、何か解決するような気がしたのです。
今回会えなかったのは、携帯を持ったせいかなぁ?と不条理なことを考えました。
その代わり、別の友人に会えました。
悩んでいることを話し、「世の中が競争だなんて常識だよ。その歳まで知らなかったの。」と、
年下の人に面と向かって言われると、さすがに落ち込みました。でも僕が理解する彼女の考えはこうです。
「自分の能力を高め、努力することで立場を得られれば、世の中を変えるが出来る。」
彼女はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で働いています。
彼女の考え方が正しいか、今の僕には確信が持てませんが、それを信じて行動している人が目の前に居てくれるのは、おおきな救いでした。
これが家出の顛末です。自転車と無関係で、場の雰囲気にも合わない長い話で失礼しました。
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「自転車男!」 ちょっと頑張ってみます!?
今、PCを立ち上げて、皆さんの温かい書き込みに、救われた気持ちです。
「AUTHORが人生相談してもらってどうすんねん?」とも思いますが、これがBLOGの面白いとこかも知れません。ちょっと電車男みたい?
高校生のとき、初めて自転車で長距離を走ったのも、家出でした。
仲の悪い家族や、住んでる町から逃げ出した孤独な自転車旅行で、何人かの人たちに会い、人との交わりについて考えるきっかけになったのです。
西名阪を走って、警察につかまりそうになったのを助けてくれた、サービスエリアのタコヤキ屋さんのオバちゃん。廃車場で野宿をしてたら、家に泊めてくれた静岡の暴走族の人達。横浜で自転車がオシャカになっったので、捨ててバスで帰ったのですが、それを送ってくれた友人。お礼もしていないのですが、そんな淡い交わりが、他人を信じるきっかけになったような気がします。
自転車に乗るという事は、孤独な行為です。それを求めて自転車に乗っている人も多いでしょう。僕もそうでした。今でもそんな気分で自転車にまたがる時があります。
自転車の上に引きこもって、考え事をする事もあります。
そんな時、確かな現実感があるのは自分の身体だけになります。世の中の全ての物が、風と一緒に後ろに流れていき、身体に触れるハンドルやサドル、それを通して感じられるタイヤの路面へのグリップ感さえ不確かになり、それが心地よいのです。
それでも、交通の流れや、路面状態は意識しないといけないし、暑かったり、寒かったりする。道をゆずってもらえば挨拶もするし、車にサインをおくることもある。
疲れた時にコンビニで買った何でもないお菓子が、思いがけないほど美味かったりする。のどが渇ききって飲むビールや、帰ってきて、ほっこりして飲むコーヒーはとても新鮮な気持ちにさせてくれる。ウォークマンで聞いてる音楽が、景色とぴったりシンクロする時の官能感は、部屋の中では味わえない。
完全に自分の世界には入り込めず、どこかで世界と繋がっている。自分はこの世界でまだやっていけるんだ。と思わせてくれます。
とりとめの無い文章になりましたが、皆様へのお返事になってますでしょうか?
家出のその後ずっと気になっていました
このサイトを見るようになって、自分が自転車を好きなことと自由ということは、すごく関わりがあるんじゃないかなと思うようになりました。(今更当たり前ですか?)極端なことを言えば危険を承知で車道を走って車にはねられちゃうくらい自由な乗りもの?肯定的な意味で言ってるんですがわかりにくいでしょうか?
自分はそんな風に感じたのですが、タクヤさんは自転車に対する熱い思いや、これは大事なとこだと思っていることを理屈じゃなく、ユーモアとともにさらっと伝えられる希有な人だと感じます。普通そんな人はいないのでこれはやはり普段からおっしゃっているように自転車の背後霊が憑依しているとしか思えません。タクヤさんが人と人の間にいることや、行動したり発言されることは、絶対人同士がわかり合うことに役立っていると思いますよ。自分がタクヤさんを理解しているかどうかは微妙ですが、少なくともここの場でタクヤさんの書き込みをすごく楽しみにしています。これからもばんばん発言してください。
自分も「他人とどう理解しあえるか」はいつも悩んできましたが、結局のところ「他人が自分に対してどう理解してもらうか」ではなくて「自分が他人に対してどう理解するか」だと思うのです。他人は自分ではないので、心が理解できる訳もないし自分も他人を理解することはできない。だから、キャッチボールみたいにネタを振って反応を見て、どうするかを冷静に考えることが重要かなと。
でも、家出ってかっこいいな。私はしたことが無いから。自転車だといつまでも逃げれるので便利です。
今度、家出をする時は沖縄に来てください~
今いる社会と異なった環境に身をおくと、あんがい見えてくるものがあったりするよね~
僕は京都で行き詰まって沖縄に脱出したけど、コンクリートジャングルが、京都の空気がたまらなく恋しいです。
それもこれも家出をしたから発見できたこと。
そして、ついこの間、沖縄で行き詰まりネパールにプチ家出しておりました。
家出バンザーイ!
僕は理解できない人達と共存するのが好きです。
ユートピアじゃないこの世界が好きです。
火山口の淵で死をかいま見つつ皆と踊り明かしたいです。
おかえりなさい!
僕はTくんは天使のような人だと思っていましたが、最近は仙人のような人だと思っています。ボサ仙人。
競争する事と理解し合う事は矛盾しないとは思うのですが、競争のルールを強い方のひとが決めてる事が多いので、
弱い人は弱いまま→強い人、弱い人の区別が固定化。
→互いの無理解が進む。→ションボリ。
となる気がします。
まずはお互い相手が言っている事を出来るだけちゃんと聞くところからでしょうか。べたですけど。
世の中、変革期に来ているように感じております。 良心にしたがって、正しいと思うことは、しつこく、あせらず、つづけてみれば。
こんばんは。
「タクヤさんが家出をした!」と聞いたときは、ケンカでもして家を飛び出しちゃったのかしら・・・と心配になりましたが、家出の理由がなかなか良かったので安心しました。
そして、スッキリできた家出でもあったようで、これもよかったです。
今度、家出をするときはうちにも寄ってくださいね。
ギターは弾けませんが、歌はうたえます。
難しいことは言えないけれど、サッポロビールは冷えています。
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こう書くと、なんだかわたしってロクデナシみたい!←みたいじゃなくて、事実だけど!